2004年03月07日

2004-03-07

キーワードが浮かんできて怖いので白文字やめました。ネタバレFUCKな人は見ないでください。

■ [押井守]イノセンス
イノセンス、初回で見てきました。…徹夜麻雀→イノセンスという「ぐっすり快眠コース」で。ちなみにその前日も徹夜。コンビニで飲んだリポDと劇場で買ったコーヒーで何とか頑張ったつもりなんですが、10分くらいは寝ました。30分くらいは眠気との闘いに費やされた気がします。そんな状態で感想書いていいのか迷ったんですが、書いておかないと次に見るときに今回の経験が生かされないので、一応。
まとめない形でのネタバレメモ。(追記。コレはただのメモで、次回以降この辺りに気をつけて見ようと思ったことの羅列です。感想じゃないです)

もろもろ
イノセンスパンフ表紙:人形・犬が同列として扱われているように見える。劇中では共にイノセンスなものとして扱われている。が、犬はカメラ目線。つまり劇中で犬はバトーから愛されている(故にイノセンスたる犬は素直に愛(バトーへの絶対の信頼)を返してくれる)が、人形は「ただ捨てられて欲しくない」。:

大量の引用:その言葉のもつ意味よりも、「大量の引用で会話を成り立たせてしまう」状況が欲しかったんだろう。引用で語っていた部分に重要な事ってあまりなかった気がする。単に僕が意味を理解していないだけかもしれないが。それはともかく、うざいことに変わりは無い。

アニメっぽい話
「人形になりたくなかった」と叫ぶ少女ですら、アニメの一キャラクターである以上、人形でしかない(2Dアニメならまだ隠蔽されうる事かもしれないが、3Dだとまんま「人形」)。で、そんな少女に激昂するバトーもやはり人形。義体である自分(自分の体はどれだけ残っている? と医師に聞く場面、素子にジャケットを着せてやる場面からもバトーが肉体信仰していることが分かる)とゴースト移植された人形とで、その立場に共感したために激昂したと考えるのが自然だが、人形である彼らの代わりに押井監督が代弁してやったとも捉えられる。押井監督はアニメキャラをただの創作と割り切っていなそうな所が結構あって、その辺がとてもオタク臭い。

↑の路線で印象に残っているアニメとして、ルパン三世3rd「悪のり変装曲」がある。自分自身とは何か?(誰にでも変装できるということは、逆に己の存在が希薄であるということでもある)への葛藤。これは実写よりもアニメでやったほうが効果的な話。何故なら、アニメであればこそルパンは「視聴者には絶対に見抜けない完璧な変装」が成り立つからだ。「完璧な変装をしたルパン」と「変装対象」とに違いは無いのではないか? さらに穿った見方をすれば、僕らは普通アニメのキャラが誰であるかを記号(服、目つき、髪型、口癖etc…)で判断するが、じゃあアニメのキャラってのは記号が本質であってゴーストが宿る(意思、という意味でなくて、何らかのアイデンティティ)ことなんて有り得ないのか? っと、脱線終了。話を戻すと、イノセンスはこの辺りの話に決着をつけるつもりなのかなーと期待してたんですが、僕は読み取れなかった。

われわれの愛もまた科学的でうんぬん
パンフにも書いてある通り、人間も犬も人形も同じ、という話で終わる。でも、それは「だから犬や人形を大事にしましょう」という話ではなくて、犬や人形に対してのような純粋な(機械的な)愛を人に向けてもいいんじゃないの、と言いたかったんじゃないか、と思った。ホントかな。適当に書いてます。

ラスト、人形を抱く女の子←→犬を抱くバトー の対比は、人形=犬と言いたいのかしらん。しかし、その女の子はさらにトグサに抱かれているわけで…。


以上キモイ話終わり。
感想。
  • 押井監督が本当に「人形が好き」「犬が好き」である事がよく伝わってきた。
  • ヤクザ突入シーン・バトーダッシュ&バトー階段ぶち破って落下・人形降って来てカタカタ、あたりが最高。眠気が吹き飛んだ。
  • 犬の描写もやたらに細かくて最高。すごい犬、というとユンカースがすぐに思い浮かぶんですが、すごい猫ってあんまり記憶にないなあ。何でだろう。

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