2004年04月16日

2004-04-16


何故か平日に飲みに行ったのだが、シュヴァンクマイエルなんて名前を聞いたのは久しぶりだったので、昔から常々思っていたことを軽くまとめてみた。
僕らの世代は、アニメーションが身の回りにあることが当然という環境の中で育っている。なのでアニメ(という表現手法)自体に疑問を抱く機会というのは極限られていて、それが故に一般にアートアニメと呼ばれる作品と、普段目にするセルアニメ(もうセルじゃないけど便宜的に…)とは完全に区別されているように感じる。
しかし同じアニメーションである以上、内包する問題性は同じであって、その再確認という意味でならばいわゆる「アートアニメ」を見ることは日本のセルアニメの理解につながるし、逆もまたしかり。
例えばシュヴァンクマイエルのようにanimaを強く意識させる作品群を見ることは、何故日本の名アニメーター達がキャラの形を崩してまで動きのリアリズムにこだわってしまうかということへの理解に繋がり得るし、
例えば人形アニメーションの面白さに触れた方がジョン・ラセターのやってきている事の意味を把握しやすくなるだろうし、また「人形」を中核に据えたイノセンスを見る上でも役に立つはずだ。
何でもかんでもアニメーションしてしまう時代に、上記のように「アニメ作品」というくくりで見てしまうのは少し古臭い考え方かとも感じるし、そもそも上記のようなテーマ自体が古臭いと言えるのかもしれないけれども、2Dアニメーションと3Dアニメーション、デジタルとアナログが混在する今だからこそ、アニメの全体像を眺めて、アニメが本来持つ意味、意義を問い直すことは面白いんじゃないか、と思っている。

# bluefield『 シュヴァンクマイエルは、技術的なことと同じくらい、アニメーションの表現的なことに拘るので、日本のアニメとの親和性は高いかもしれませんね。懐古や様式賛美にならずに、アートアニメを見ることでアニメーションの意義を見出す作業はたしかに興味深いし、楽しいですよね。って、いきなり現れてすいません。 』

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